違和感と存在感
依頼者や被害者のお宅にお邪魔した時、これから重要な話し合いがなされようとしているのに、テレビが点けっ放しにされていることが多い。テレビを点けている側の方は何の違和感もないようだ。その存在に気がつかない程テレビは、日常生活に入り込んでしまっている。美味しい蕎麦や寿司を食べに行っても、テレビが点けられている店が多い。店主も客も一緒にテレビを見ている。このような光景は海外ではほとんどお目にかからない。
その気にさせる日本のテレビ
海外に行って宿泊先のホテルでテレビを点けてみるのだが、語学力がなくて、十分には理解できないものの、ほとんど面白くない。
実際に、地元の方に聞いても、やはり面白くないそうである。
我が国のテレビ番組は、とにかく面白い。しかも、放送局は、国営、民営あわせて7チャンネルもあるのである。バラエティ、お笑い、ドラマ……。ニュースにしても、CGあり、模型あり、VTRあり、生中継ありと、もう私たちはお茶の間にいるだけで全てを知ってしまう。さらに、すごいのが旅番組だ。世界遺産を中心に、番組を見さえすれば、そこに行ったような気になって満足してしまう。
テレビという窓
しかし、どちらがより人生を楽しんでいるかといえば、テレビが面白くない国の人々かも知れない。散歩、映画など外に出ていろいろな刺激を受けようとしているように思う。
テレビという窓からしか世界を見ていないと、感受性が失われていくように思う。人は、視覚だけでなく、その空間の中に身を置いたときしか感じることができない刺激があるという。また、外にでてさまざまな感動をしないと前頭葉が刺激されず老化が早まると言われているらしい。
人生を大いに楽しむために
若々しく、美しく生きるため、テレビから一旦離れて生活をしてみてはどうだろうか。あるいは、テレビを見て満足せず、現場に出かけてみるのが良いかもいしれない。