コラム

2020.11.21

待ち時間をめぐるあれこれ

待ち時間の楽しみ方とストレス

ウィンブルドン・テニス大会の初日。試合は開始されたものの、雨のため1時間程度一時中断され、その後、約5時間待ったが、結局試合は開始されなかった。その間、雨よけのあるセンターコートでずっと待たされ続けたのだが、不思議と退屈しなかった。観客もほとんど立ち去ろうとせず、名物のウィンブルドンの雨と楽しんでいるようだった。
ディズニーランドでは待ち時間がつきものだが、友だちや家族と人気アトラクションに並んで待つあいだ、いろいろ話をしているうちにどんどん自分の番が近づいてきて、期待感が高まっていく。こんな時は待っている時間がむしろ楽しい。
数年前、ワシントンDCやフロリダを視察した際、9・11のテロ事件が起き、飛行機が数日間全便欠航し、いつ戻れるとも知れない事態に遭遇した。同行者の中には、ストレスから添乗員にクレームを連発している方々がいた。待たされている事情が飲み込めない時、ストレスは倍増するもののようである。

公平を期するにも時間がかかる

裁判手続には時間がかかる。どうして時間がかかるのかという質問をよく受けるが、「裁判手続は、世の中でもっとも公平な民主主義的手続だから」と答えている。
法廷の外では、声の大きい者、腕力の強い者、政治力を持っている者、組織力を持っている者の言い分が通りやすいが、法廷の中だけは、理屈によって勝敗が決まる。
腕力が弱い女性でも離婚訴訟で勝てるし、経済的弱者でも国を相手に勝訴することもできるのである。しかし、それだけに、裁判には説得力が必要だ。そして、その説得力を得るには、双方の言い分を公平に十分聞くことが必要だ。だからどうしても時間がかかるのである。

待つ側と待たせる側

弁護士をしていると、待つ側になるよりも、待たせる側になってしまうことが多い。裁判所で和解や尋問に時間をとられ、クライアントの方をお待たせしてしまうことがある。クライアントのみなさまは、どなたも気をつかって、アポイントメントの時間よりも前に来て待ってくださり、文句一つ言わず、遅れたことを許してくださる。本当にいつも感謝している。